[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
これはどうしても竿を持って出たくなる。
カメラを持って海に向かうのも、
今年はこれが最後かもしれない。
海に入るなり、
まず腰の深さくらいの辺りから周囲を注意深く観察する。
・・・と、
アチャ――――ッ、
やっぱりよおけおるどぉ !!!!!!!!!!!
胴の部分が3cmほど、
足の長さは15cmほどだろうか。
この時期になると大量に現れるクラゲ、
「アンドンクラゲ」だ。
小さなクラゲだが、
射されたら無害では済まないのだ。
写真ではわからないが、
この日はいたる所にウジャウジャと泳いでいた。
ガッカリだよぉーーーっ!!!
(このガッカリ感はゴキブリを見つけた時に近いね)
少しばかり沖に出て周囲を見回す。
水温のためなのかここにはクラゲがいない。
一息(ひといき)大きく吸い込み一気に底まで潜る、
海面を見上げ・・・
「ブシュッ!」
どうよ、バブルリング!?
ほれっ!
・・・
くそっ、できんっ!
ただの泡だし。
なかなか難しいモンだ。
おっ、
岩の窪みに何やら美味そうな物を発見!
結構な大きさのサザエだょ。
その横にはバテイラか。
これもいいサイズだ。
あっ、こっちにはウニ。
グッと我慢ですぜいっ!!!
今日は密漁はなしだからな。
カメラマンに徹するんだからな。
水中写真は面白いけどストレスが溜まるな。
これだけ潜って手ぶらで帰るなんてよ。
考えられんよ。
一旦帰ってな、
かろいちに行ったサ。
あーっ、行ったサ。
初めは気が付かなかった。
太陽光が海面に反射して見えなかったのだ。
だがちょっと角度を変えたとき、
海草の切れ間におびただしい数の小アジの群れ。
さっそく近づいてカメラを構える。
距離にして50㎝ほどか、
特に逃げる様子もなく悠々と泳いでいる。
何かに追われてこの海草の影に潜んでいるのではなさそうだ。
潮流の具合でここに溜まっているのか?
それとも連日の猛暑に水温も上がり過ぎだが、
何かの理由でこの一体だけ水温が安定しているのかもしれない。
写真からはわからないが、
この左側に軽く数百匹は泳いでいた。
今、水中写真が面白い。
これは本当に面白い。
だけどある日カメラを構えていて、
例えば目の前に巨大ヒラメなんぞが潜んでいるのを見つけたら、
私は、カメラを構えているマヌケな自分を呪うに違いない。
「どうしてカメラじゃなく竿を持っていなかったかなぁ?」
その時のことを想像すると、
とても辛いのだ。
毎年の事だが連日のこの暑さ、
加えて盆前の仕事のドタバタ。
盆が明けるまでモチベーションは下がる一方だ。
そんな中、思い出した。
「そういえば、こういうものが有るんだっ♪」
セットで”ヤフオク”に出品されていたのだ。
カメラ本体はHPに使うにはもう一つかなと思ったが、
手頃な値段についつられてしまった。
ハウジング。
つまり、
水中写真を撮るために使うデジカメのプロテクターだ。
深い場所ではライティングがかなり重要になり、
本格的な装備が必要になるらしいが、
浅場ならばこれで結構遊べる。
たとえばこれは「ヤツデヒトデ」。
輻長は10cm弱。
アワビ等を食べてしまう沿岸漁業者の嫌われ者らしいが、
こうして自分で写真に撮ってみると、
なかなか、これでどうして、結構イイ奴じゃん!
これは多分「メジナ」(グレ)の幼魚。
体長4~5cm。
食用としての認知度はもう一つだが、
磯釣り師には人気の魚だ。
というように、
普段なかなか見られないものが見えてくる。
衛星放送でやっているような豪華絢爛なショットはないが、
極々地味でつましいショットばかりだが、
日常生活のすぐそばの世界だけにこれはこれでとても楽しいのだ。
ちょっと緊張したけど、
とりあえず水中写真デビューでした。
青蒼、青冥、碧漢、碧空、碧天、碧落、碧霄、
蒼穹、蒼極、蒼玄、蒼昊、蒼顥、蒼々、蒼天、
蒼旻
分厚い漢和辞典で調べればまだまだ出てくるだろうが、
どれも青空を表す言葉だ。
とは言え、
どの言葉も一様に単に「青い空」を言い表したわけではあるまい。
微妙な色の違い、
季節の違い、
時間の違いなどなど、
様々な状況で使い分けたのではなかろうか。
写真はおろか塗料さえ容易に入手できない時代、
人々は、
「この色をどう表現すれば伝わるのだろうか?」
と思いをめぐらせたのかもしれない。
大気が澄む冬、
一年のうちで空を見上げる回数が最も多い季節かもしれない。
夜の寒さは厳しいが、
星明かりが研ぎ澄まされて、瞬く音が聞こえてきそうなほどだ。
日中は写真の通り。
空の青が青すぎるほどに青いのだ。
私はこの空の青さに、
あまりの青さに、
言葉を失ってしまった。
「暮れも押詰まって多忙を極め」
と言いたいほど何やら気ぜわしい毎日。
今日も車をかっ飛ばし、
目指すは「鳥取大砂丘」近くの集落。
砂丘入り口に土産物屋が立ち並ぶ通りを過ぎると、
道は緩やかな右カーブを描き数キロに渡る海岸道路になる。
左に冬の日本海、
右に松の生い茂る小高い砂山を見ながらしばらく走る。
程なく右手の松林の切れ間に、
目にも鮮やかな広大な緑の絨毯。
「鳥取大砂丘」の一部に広がる「らっきょう畑」だ。
その昔、畑の水やりは人力でされていた。
砂の畑は水をやってもやっても溜まるということがない。
それでもやらないわけにはいかない。
どこの農家でも水やりの役目を背負わされるのは嫁だった。
「砂丘の嫁殺し」と言われた所以だ。
今では元栓を捻ればスプリンクラーが水をやってくれるが、
らっきょう作りはそういう過酷な歴史の上に成り立っているのだ。
・・・と、
見れば畑の向こうに海が見える。
砂丘は延々と続くサーフだ。
私を呼ぶな!
私に手招きをするな!
ロッドは積んでないし時間がないのだ!
「らっきょう畑」の歴史を語ったまま、
今日はアカデミックに終わりたいのだ!
う、後ろ髪を・・・
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |